前頭葉と罪と罰

01.6.12

人間が人らしく行動できる事、つまり理性、知性によって行動をコントロール
できるという事に脳の前頭葉の部分が大きく作用しているらしい。
赤ん坊はまだ前頭葉が発育していなく、本能の赴くまま、だから人間の
赤ん坊は人間であっても人ではないと言われる。そしてその前頭葉は生後
数年間幼少のころに発育され、人として行動できるようになる。
近頃その前頭葉が機能していないと思われる犯罪が多発している。
電車内で「足があたった」と殴り殺され、「奥に詰めて下さい。」で
「目が合った」と殴り殺され、いきなりガソリンをまかれ火をつけられ、
成人式であばれるモノ、電車内で喫煙、飲食、と傍若無人なモノ。
誰でも自分のテリトリーを侵害され不快に思う事や「かっ」となる事はある。
しかし、普通の人ならば行動をコントロールできる。

6/8 最悪の事件が起きた。
「なにもかもが嫌になった。エリート校の子供を殺せは死刑になると思った。」
この言い草はいったいなんだ。こんなモノが野放しにされていていいのか。
少年犯罪やこのような異常犯罪が起きると必ず、少年法うんぬん、とか、
容疑者の精神鑑定、責任能力、人権、などが語られる。無差別殺人をして
責任能力だ。人権だ。などと、それはおかしいぞ。
世の中には人間関係、リストラ、倒産、失業、家族関係、健康、その他
ノイローゼになりそうな、気が狂いそうな、一家心中しそうな、ぎりぎりのと
ころで懸命に生きている人はたくさんいる。
精神障害と犯罪とは別の問題だ。精神障害者と一般人の犯罪発生率は
一般人の方が高い。また措置入院という制度も新たな偏見を生む。

罪と罰。有史以来、罪には罰をもって報いることで人間社会の秩序が保たれた。
罰は見せしめであった。ルールであり、タカ゛だった。人権などという概念が
登場したのは、ごく近年だ。ことに最近では人権がどんどん大きくなり、人と
しての義務を果たさなくても権利だけが守られようとしている。罪を犯しても
人権が守られ、罰をまぬがれるようでは、とんでもない世界になる。
この男の父親がレポーターのインタビューに答えていた。
「20年前に勘当した。あれは確信犯だ。」などと、まるで他人事のような
口振りだった。・・・(どんな大悪人でも実の子は可愛いはずだが)
前頭葉の発育する大事な時期に、どうゆう環境で育ったのか、ある程度
想像がつく。こいつもある意味では(誰からも愛されない、人として生かされ
ない。)哀れな人間だ。

国はこの事件をどう裁くのか、どう対処するのか。極刑に処されるのは
当然の事だと思うが。
そして前頭葉の発育していない、人間の形をしたこのような霊長類がこの
社会にはまだまだたくさんいる。
それらをどう見分けたら良いのか。どう対処したら良いのか。
幼年期の家庭環境が極めて重要であり、刑法の改正も議論してほしいが
とりあえずは自己防衛するしかないのだろうか。