3.「闘病日記」

99.11.13

窓の外から娘のかようT小学校のチャイムが聞こえる。入院4日目
まだ明らかな回復の自覚症状はない。通常のケースならば、着実に
検査データは上がってきているころだ。このまま聴力は戻らないのか。
少し悲観的になる。この病気の原因はまだはっきりとは分かっていない。
事前にそれらしい兆候はまったくなかった。過度なストレスを感じることも
、不節制もしていなかった。規則正しい生活、体調も正常、なんの問題
もなかった。まさに晴天のへきれき。通り魔に遭い聴力を持っていかれて
しまった。事故にあったのだ。


5日目も回復せず、ますます悲観的になる。電話で妻と話す「もう、ダメ
かもしれない・・・。」その後思わず涙が溢れ出る。最後まで希望を持った
ほうが良いのか。しかし、最後に絶望した時のショックは大きいだろう。
それより、早くこの現実を受け入れたほうが前向きになれるのか。
そんな事を考える。


1週間がたつ。日一日と絶望感が増す。
病室の窓からぼんやりと空を見る。灰色の雲がうねをつくりどこまでも空
をおおっている。鳥が雲の下を高く旋回している。その下にはいつも変わ
らない都会の風景。
オレはどうなるんだろう・・・。


少し外を散歩してみる。やはり、足が弱っている。目をつぶって車の音
を聞き分ける。右か左か前か後ろか。先生の話しが聞き取りにくい。
両耳だと必要な情報を選択し、雑音は意識の中でカットされる。片耳
だと、どうもそういうことが出来ないようだ。テープレコーダーで会話など
を録音してみると意外とガチャガチャした物音が大きく気になる。
ちょうどそういう感じだ。


10日目依然として回復はない。治療開始直後の検査数値からほとんど
変わらない。この時点でこの状態だと以後、回復の可能性はかなり少な
い。この病気の回復には、とにかく早期治療こそが重要だった。僕の場
合は、当日朝診察、翌日より入院治療を開始した。いろんな条件を考え
て、回復する可能性は高かった。それでも回復しなかった原因はなんな
のか。やはり最初に受けたダメージが予想以上に大きかったのだろう。
それしか考えられない。考えない。こうなったら、早くこの状況に慣れる
ことだ。失ったものに恋々としていても幸せな未来は来ない。やれること
は全てやった。後は幸運を待つしかない。そして、早くこの状態に慣れて
しまうことだ。心身の適応力の問題だ。


13日目。わずかながら右の聴神経が音に反応している。まだ「じりじり」
と言う程度だが、一度死んだ神経細胞が徐々に蘇生しているのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく