大化改新

「ムシゴめで祝え大化の改新を」645年高校生の頃だったか日本史年表でこう暗記した。
先日NHKスペシャルで「大化改新 隠された真相」を見た。
天皇を脅かす存在となりつつあった蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターで惨殺しその後律令国家体制を築いていくというのが歴史の定説だか、それを根底から覆す内容だった。

蘇我入鹿という人は逆臣などではなく蘇我一族の邸宅などで自らが盾となって都を要塞化し大陸の巨大帝国「唐」の侵略に備えようとしていたのだ。一方で海の玄関である難波を整備し遣唐使を派遣し東アジアとの協調路線をとるなど内政、外交と大変先見性のある政治家だった。

一方入鹿を倒した中大兄皇子らはむしろ保守的でその後も中央集権的律令国家を目指した風もなく改革らしき事ははなにもしていなかった。実際に改革か始まるのは663年白村江の戦いで大敗を喫した後だった。さらに日本書紀での記述は彼等の子供である元明天皇や藤原不比等の意向により書き換えられたというものだ。歴史の改ざんが行われていたのだ。

哀れ蘇我入鹿。以後1350年の永きに渡り逆賊の汚名を着せられていた。
番組の最後に入鹿神社に伝わる小さな入鹿像が出てきた。
明治時代には神社の名も改めるよう指示されてきた蘇我入鹿ようやくにして汚名は晴らせたのだ。
歴史というのは時代の解釈でなんと大きく変わるものか。